*☆*:;;;:昭島市のみなさま、こんにちは~*☆*:;;;:
今日は、現在の昭島市拝島町の辺りで、江戸時代に賑わっていた、拝島宿(はいじまじゅく)をご紹介させていただきます。
『拝島宿』ってなんとなく、言葉じたいは聞いたことがあるような、、、
拝島宿は、八王子千人同心が日光東照宮勤番に赴く際に行き来した「日光街道」の宿駅(しゅくえき)として、江戸時代のはじめに開設された宿場です。
宿のほか荒物屋、鍛冶屋、居酒屋、菓子屋など56軒の商店が並び、大変に賑わっていたようです♪
多摩川の筏(いかだ)流しの中継地ともなった拝島宿は、八王子と箱根ヶ崎(現在の瑞穂町)の間にある宿場でありました。当時の住民は農業に従事しながら、宿場の業務や様々な商売に携わっていたようです。
景観は、当時と今日では大きく様変わりしているようですが、「間口が狭く・奥行が長い」という宿場特有の地割はほとんど変わっていないようです。
拝島宿は、西方から上宿(かみじゅく)、中宿(なかじゅく)、下宿(しもじゅく)の三つに分けられ、以前こちらでもご紹介させて頂きました、日吉神社の榊祭りなどは、現在でもこの村組が中心となりお祭りが行われているそうです。
拝島宿の「日光街道」(現在の奥多摩街道)は西端と東端で鉤型(かぎがた)に屈曲しており、これは宿場によくみられるもの。西端は「大曲り」(おおまがり)と呼ばれ、東端の屈曲は多摩川の「拝島の渡し」に至るそうです。
ちなみに、明治9年頃の拝島村「字図」によると、拝島宿での道幅は、約12.5m。江戸時代も、そして今も道幅は、ほぼ同じだそうです。
*☆*:;;;:昭島市の歴史を勉強しながら、また、少しづづご紹介させて頂きます♪*☆*:;;;:
写真は我が社のスタッフさんが昭島市内を撮影してくれたものです♪
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