◆◇◆◇◆昭島市のみなさま、こんにちは~◇◆◇◆◇
今日の昭島市は曇り?といったところでしょうか(^∇^)
昨日は結構な夏モードでしたが、今朝は完全に秋。朝方は結構な土砂降りだったのですが、昭島駅に到着しお店のオープン時間にはだいぶ小雨になっており、今の時間は雲間から青空も見えます♪
さて、以前にも、あきしまクジラの由来や、昭島市の名前の由来などご昭島市の歴史的なことを紹介させていただきましたが、今回は昭島市のはじまりを少しご紹介させて頂きます♪
昭島は、明治のはじめのころ、神奈川県に属しおり、郷地村、福島村、築地村、中神村、宮沢村、大神村、上川原村、田中村、拝島村の9つの村と立川村で、10ヶ村連合村がつくられいたそうです。
その後、市制・町村制で立川村が分離し、明治26年(1893年)東京府に編入後、明治35年(1902年)に拝島村が独立し、東部は組合村、西部は単独の拝島村という時代がしばらく続いていたそうです。東部の組合村は昭和3年に合併し、昭和村が誕生しました。
大正から昭和初期、この辺りは養蚕が盛んで、一大桑園となっていたようです。特に蚕種製造は全国的にも知られるほどの存在であったようです。
この間に、明治27年には青梅鉄道(現青梅線)が開通し、さらに昭和5年には、この地域を横断する五日市鉄道(1944年廃止)が開通。さらに翌年の昭和6年には八高線も拝島駅に乗り入れたそうです。
その後、昭和12年の日中戦争勃発に伴い、人々の暮らしは大きくかわっていきます。
昭和16年に昭和村は、昭和町となり、このころ地域内の大小工場は、そのほぼ全てが軍需工場と化し、人口の流入が進んだようです。そのため、たびたび空襲に見舞われ、この地域も多くの犠牲者が確認されたようです。
長く続いた戦争もおわり、昭和29年5月1日、昭和町と拝島村が合併し、東京都で7番目の市、昭島市が誕生しました。
ちなみに、その当時の人口は36482人。令和元年9月現在の昭島市の人口は113373人との事です。
*☆*:;;;:昭島市の歴史を勉強しながら、また、少しづづご紹介させて頂きます♪*☆*:;;;:
写真は我が社のスタッフさんが昭島市内を撮影してくれたものです♪
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